人はレールを無意識に敷いている。
コミュニケーションの仕方には型がある。
そして、文章にも決まった型がある。
型にはめ込みながら、少しだけ変形すればあらゆる文章を生み出せる。
つまりは、文法というレールに載っている。
時に人は「面白い表現だな」と感じる。
それはつまり、新しいレール、道である。
レールであることには変わらない。
速読はなぜ成立するのか。
レールがあるからである。
決まりきった表現を新幹線のように高速で移動しているだけである。
ところが変化球が来ると脱線する。
急カーブが敷かれたレールには対応できない。
速読は文法というレールが敷かれた文章という名の高速鉄道である。
しかし、道はいくらでも拡張できるように、コミュニケーションや文章にも無限の可能性を感じる。
レールそのものの性質を変えることもできそうである。
僕は今のところ、複数の路線を合流させていくことに面白味を感じる。
つづく