この記事はルトガー・ブレグマン『希望の歴史』にヒントを得つつ、独自に「現実逃避化」を解釈していく。
僕が思うに、部分的にモノ・コトの現実逃避化が加速している。
例えば、今日の兵器は人に触れないで殺傷できるもので溢れている。
『希望の歴史』によると、根源的に人は人を殺めることに嫌悪を感じるとのこと。
それはベトナム戦争が象徴である。
心理療法はベトナム戦争のPTSDがきっかけで加速したとの話もある。
死刑は廃止されつつある。日本においては、もはやボタンひとつで事が済まされる。
端的に言えば、殺めることを直視すべきではない、という発想ではないだろうか。
VRやAIにも当てはまる。
目の前の現実に飽きた人間は、非現実的な仮想空間を構築している。
AIは、究極的には人と人との非効率的なやりとりを目的合理的な仕方で排除していっているように見える。
それは単に楽をしたいからなのだろうか。
中野信子氏の述べるように、今は、究極的には個々バラバラになるプロセスを辿っている段階なのだろうか。
僕には、合理的なものと思われる現象が「現実逃避」として見えてくるのである。
この問題は、人と人との繋がりを考えていくうえで重要なテーマとなるだろう。
つづく