人は漸次的な変化に気づきにくい。
そして、速度が遅ければ遅いほど、知覚は困難になる。
例えば、髪の毛は1日に5ミリ弱伸びるみたいではあるが、頭髪の変化は毎日鏡で髭を剃る自分でも分からない。でも必ず変化していく。
桜は比較的知覚しやすい。それは当たり前で、変化の速度が速いからである。
例えば、僕からすれば、桜は儚いから美しい、というのは小学生の感想である。
美学的な観点からすれば、表面的な感想だ。
桜は自然という宇宙のなかのひとつの分子のようなものだ。
波も人を芸術家にする。
波は桜と違い流動的で恒常的。だからといって、不変ではない。
人は波の何に共鳴するのだろう。
木は静寂を通り越して寂寞である。
おそらく、というよりかは、まあ当たり前なのだろうけれども、変化が限りなく遅ければ遅いほど、静的になる。
僕はこの3つには公約数のような要素を持っていると踏んでいる。
これら全て、何億回と絵の対象になってきたことだろう。
それは換言すれば、筆を人に握らせる環境を与える、つまりギブソンの唱えた「アフォーダンス」の力を秘めているとも言える。
ここで僕は、認知(≒知覚)心理学と芸術の共通項を見つける。
つづく