こちらのつづき
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
病名を与えることは承認にはなり得ない
「僕は発達障がいだったんだな、とわかったときに、何だかホッといたしました」
というお話を時々目にする。
僕はちょっと違和感を覚える。
確かに、本人からしてみれば、得体の知れないものに苦しめられていて、それが「発達障がい」というものによるものであった、という、「原因」が特定されたことは嬉しいニュースであったかもしれない。
ただ、「病人」になって嬉しいというのはいかがなものか。
僕は、同じ精神疾患でも「うつ病」に関しては能力主義の社会と相容れないと考えている。
というのも、「クローズ」といって、うつ病であることを隠して面接を受ける用語があることから察するに、「うつ病」はスティグマでしかない。
参考文献:樫原潤『うつ病とスティグマの臨床社会心理学』金剛出版2020年
営利が第一の民間会社において、うつ病の人を積極的に採用するのかといえば、普通に考えて減点対象であることは確定している。
人間が「商品」となってしまっているこの資本主義社会においては、僕は「富の分配」のみが平等を可能にする唯一の方法と思う。
それが「ベーシック・インカム」の考えにつながる。
問題はうつ病の原因、同定である。
「怠け者になぜお金をやらないといけないのか」
という反論も自然と出てくる。当たり前である。
うつ = 怠け者
であることが「証明」された場合、「富の分配」の意義は薄れていくだろう。
しかしながら、現状の科学においては、「うつ病」の本質はまだ見えない。
あの手この手でセーフティネットを用意していただいているおかげで今の僕がある。
(自立支援、障がい者手帳、障がい年金等)
それは、単なる「怠け者」ではないと、承認を受けていることでもあると僕は考えている。
僕は「社会的なもの」による原因が大きな割合を占めていると仮定したうえで様々な文献を読み漁っている。
経済、政治、行政、医療、労働etc
この複雑な社会を解き明かしたい。
ただそれだけである。
つづく