参考文献:仲正昌樹『フーコー<性の歴史>入門講義』作品社 2020年
僕は表面積と問題解決について以前記事にした。
問題を解決にするために必要な「問題の細分化」は、細分化によって表面積が増え、可視できる領域が増えるので、問題に対するアプローチ法が増えるということになるのでは、と書いた。
今回はこの逆を書きたい。
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詳しく読み込んでいないので、後日加筆、修正していく予定である。
精神医学は今、DSM-5という診断の基準・マニュアルが存在する。
5というのは、4回「改訂」されていることを意味する。
「精神疾患」=「病気」「異常」として病院へ隔離、疎外されているという現実がある。
フーコーによれば、「公共の利益」はすなわち「権力の強化」であるとする。
それが万人の利益を最大化する「功利主義」の考えと重なると仲正氏はのべる。
性の異常、精神の異常を「記述」「分析」「研究」することによって、観察の対象となるし、管理の対象にもなる。フーコーは、性の管理も行政の管轄にあるとした。
この権力のメカニズムは、ある意味「狂気の細分化」でもあると僕は僕なりに解釈した。
もともと精神疾患は「狂気」として扱われていた。フロイトの仕事を見ればわかるように、精神分析はなんらかの神経症患者が対象であった。
それはDSM-5をみれば明らかである。
当事者でもあるからわかることがある。
今や、精神科にいけば必ずなんらかの診断名がつく。
僕の記憶では、処方箋を発行する際、医師はかならず病名を書かなければいけないということであった。
ADHD、ASD、PTSD、うつ病、適応障害、、、、挙げればきりがないくらいである。
細分化によって逆説的に問題が「増大」されているのではと僕は感じた。
表面積が増えれば増えるほど扱う範囲が増える。
もうすこし読み込みたい。
つづく