哲学には現象学というジャンルがある。
また、脳は入力(=知覚)された情報からある程度予測して映像を作りだしているという説もある。
現象学は、脳と対象物(=知覚の対象 :例、景色や道路など)が本当に独立しているのかどうかを確かめる学問でもある。
目がまわると視界がぐちゃぐちゃになる。
普通の状態で、一見何も問題がないように思えるが、実は知覚されていない何かがあれば、やはり脳は「夢」のようなものを見ているという飛躍も生まれる。
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それに対して、科学は客観性が全てである。
誰もが異論を持たない仕方で、誰もが認め、誰もが再現可能にできるように理論を構築していく。
では、と。
確かに、数字は「客観的」である。
しかし、僕が思うに、逆に数字は「無意味」ではないか。
そこに解釈や事実を与えるのはいうまでもなく「言語」だ。
○○が「証明された」。
しかし、
「証明」とは⇒△△である。
△△とは⇒□□である。
と永遠に続くではないか。
どこかで、人間に都合の良いように便宜上、「切断」せざるを得ない状況を作ってはいやしないか。
つづく