そんなことするメリットがない。
と人は言う。
トルストイも『人生論』において、役に立たないことをやる必要はないと言っていた。
しかしながら、「浪費」と「投資」は紙一重であることも事実。
『レトリック辞典』に浪費と投資の複雑性についてのべられていた。
僕も同意する。
また、メリットと判断される場合、二面性があると僕は考える。
・今やりたいという心理的判断から
・先を考えて利益になるという推理的判断から
意外と、人は後者のほうではないだろうか。
しかし、ここに気づいていない人は少なくないと思われる。
なぜならば、
「何事も実践」
「目標を決めよう」
「成長するためにも行動」
と語られているからである。
これは、「目先の利益」を考えた上での発言であり、「好奇心」についてはあまり触れられていないように思われる。
その証拠として、「趣味に没頭していては成長できない」といった言説が自己啓発にある。
関心や好奇心があるかどうかを自覚した上でメリットを判断すべきではないだろうか。
なぜならば、関心がなくて辛いかもしれないが、とりあえず「成長」や「利益」に囚われて失敗を招くリスクがあるからである。
その件に関してはいくらでも触れた。
また考えたい。
つづく