「楽しく自分らしく生きよう」
僕は、なにか物足りなさを感じる。
、、、、何かむなしくないですか。
幸せは快楽の総量では語れないはずです。
自分らしくといっても、それが社会的に半ば強制されたものであるならば、自分らしくというよりかは、「奴隷らしく」とも思ってしまうんです。
少なくとも、田中慎弥さんはそう思っています。『孤独論』より。
僕は過去に、何回か、社会的に刷り込まれている価値観を取り除くべきだと書いてきました。
世間体。同調圧力。崩壊した民主主義。
そのシステムのなかで、果たして「自分らしく」などいれるものでしょうか。
つづく、、、、