先日、ファミリーマートのお母さん食堂問題を観た。
お母さんが料理を作るもの、というイメージを与えかねないということから、見直すべき、という意見であった。
となると、やはり「お父さん食堂」も批判の対象となりうる。
そして使用できる言葉がなくなっていくという問題が提示された。
これこは、選択の範囲の幅が広すぎるとかえって選びにくくなることと似ている。
僕は逆説を意識の有り無しで例えた。
意識の有り無しだけではなく、逆説は他の例を取り上げてもいくらでも説明できると感じた。
やはりそれは「フラクタル」であるから。「トートロジー」でもあるから。
ゲーデルの残した理論は大きい。
理論1に無矛盾が示されれば理論2も無矛盾である。
つづく