以下、言語を0にした記事である。
読んだあとの「妙な感覚」とはなんであろう。
例えば、「痛い」という言葉では「どれほど痛いのか」までは伝わらない。
計測器を用いたとしても、例えば50の刺激を与えたとしても、「個人の感覚」としては差があるはずである。(ウェーバーの法則、フェヒナーの法則など)
つまり、定性的にも定量的にも、解読不可能な問題があることを示唆する。
その「解読不可能な現象」を表現する「手段」として芸術があるのだと僕は見る。
コミュニケーションの本質は
「言語 + 非言語」なのだろうか。
僕は、
「言語 × 非言語」だと見る。
つまり芸術とは、
「情報の総和 - 言語情報の総和」
であると考える。