結論:科学技術の発展により、脳科学や精神医学などの知見が集まったことによって徐々に偏った考え方が見直されたため。
科学とはいろいろな側面をもっている。
軍事に応用され、適性を検査するために用いられ、環境問題を考えるために用いられ、、、、挙げればキリがない。
メリットも多いかと思う。
僕もスマホによって助けられている。
ただし。
科学の権威主義的な側面に目をつむってはいけない。
心理学そのものは、フロイトの研究を見る限りにおいては、「障がい者」を「カテゴライズ」したいがために、精神障がい者を研究したことは否定できない。
知能検査も、優生学に貢献したと僕は見ている。
(メンタリストDaiGo氏の障がい者に対する差別発言とはつまりこういうことである。)
全てを疑いもなく受け入れることがいかに危ないのかは、どんなことにも言える。
例えば、北村紗衣『共感覚から見えるもの アートと科学を彩る五感の世界』勉誠出版2016年には以下の記述がある。
"しかしながら当時の科学研究においては、共感覚を何らかの異常であり。「劣った」知覚様式であると見なす差別的な傾向が見受けられた。科学がしばしば性差別・人種差別・セクシャルマイノリティ差別などの差別的思考の助長に加担したり、病気や障害に対する偏見を強化したりすることがあったのは今ではよく知られているが、共感覚に対しても偏見に基づく研究がしばしば行われた。"P16
”(リチャード)サイトウィックはこうした体験をもとに、西洋の学問における「何が『正常』かを決めつける権威主義的な傾向」ゆえに共感覚の理解が妨げられてきたと批判している。" P19
様々な分野(特に思想や人文社会系)の本を読めば、科学に対する批判的な意見を山ほど目にする。
しかしながら、科学が神であるかのような、一種の科学偏重主義が跋扈する現在には、そもそも「こんなことを調べたり批判する時間は無駄」と切り捨てられることが多いだろう。時間もなければコスパも悪いと思うのだろう。
社会の本質をつかむにはまずマクロを考え、(経済学、社会学、統計学、政治学、公衆衛生学、環境科学など)
「社会が変わるということはどういうことか。」
をしっかり考えねばならない。
そして、ミクロである人間の本性は、
「いつの時代も常に変わらない」という、遺伝子学や文化人類学、歴史学や比較文学の知見を取り入れながら考え抜くことが肝である。