僕は思う。
早期退職に向けて一所懸命努力していた「プロセス」が人生の絶頂期ではないのか、ということである。
昔『FIRE』という自己啓発本を読んだが、
例えば40歳で5000万円を達成するには、10年以上、収入のほとんどを投資か何かに回さなければいけないらしい。
仮にそれが「最難関へのチャレンジ」だとしても、最も誇り高き修行だとしても、やはり絶頂期は「過程」のなかにあるのではと思ってしまう。
その後は好きなだけ生きられるという。
ただ、せっかくストイックな、誰にもできないようなことを10年以上やってきた英知と才能があるのだから、残りの時間をだらだら過ごすのは「もったいない」と思ってしまう。
というのも、10年以上ストイックに生きることの代償が大きすぎると思うからである。
結局、リタイアしても週に数時間は働くのだろうから。
遊んで暮らせるのは一握りではないだろうか。
遊べても、1日あたりの交際費は限られるだろう。豪遊はできない。
おそらく、アメリカと日本みたいな、リベラル化してしまった経済体勢のなかだけのお話に過ぎないと思われる。
北欧やドイツ、フランスのような社会保障がしっかりとした国では、それこそ「コスパ」が悪いのではないだろうか。もちろん、ここは日本である。
何事も、単にアメリカの真似事をすることは、ちょっとどうなのかな、と思ってしまう1日であった。