以下の続きである。
一日寝かせてから読んだ。
部分的には否定できる材料がある。
・僕は貧困であるものの、生活できる最低限のお金を持っている。
・僕は僕自身を部分的に棚にあげている。
・まだ気づけていない自分自身の欠点がいくつもある。
・無意識と意識についての考察が少ない。
今日は意識について絡めて考えた。
例えば、動物や虫には意識があるのだろうか。
動物や虫には「幸せ」という概念があるのだろうか。
極端に言えば、地球そのものにも魂のようなものがあり、地球が今泣いているのだろうか。
動物たちには「幸せ」を感じとる力があるのだろうか。または、そんなことを考えないほどに、今を生きているのだろうか。
「考えない」と「考えることはできない」は違う。
格差社会は問題である。
がしかし、不安の対象は「格差そのもの」なのだろうか。
恐怖の対象に関して、「罪悪感」と「恐怖の対象」については昨日考察した。
参考記事:
お金の不安というのは、結局は雇用の制限(例えば学歴フィルターのようなもの)があったり、資本が足りないことによる情報不足が原因である可能性もありうる。
そして、歯車のように、ある事象がまた別の事象へ引きずり込む。
最終的には「心の歪み」が生まれ、「不幸せ」になっていくのではないだろうか。