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アカデミックの構造。無駄な研究はあるか?

智大学より引用。

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学問は、地図に例えることができると考える。

それが以下の画像である。

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 (すみません、マウスがないので傾き直せないです。)

島が大きい枠組みである。(数学、化学など)

点は発展途上の研究分野であると考える。

 

研究とは、島と島を繋ぐために橋を作るための、柱を海につくることではないだろか。

つまり、いつか新しい島ができた時には、今まで役に立たなかった柱が橋渡しのきっかけになり、学問が発展するということである。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

『科学論の実在』という本によると、やはり最終的には、学問同士がくっつく可能性について言及されている。

 

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これは僕もまだそう思っていて、芸術であれ神学であれ行動経済学であれ、全てが統合されると考える。

 

したがって、プロセスには「無駄な研究」が必要なのである。

「現代にとって」無駄なだけであって、未来においても無駄であるという保証はどこにも存在しない。

 

つまり、どんな研究でもとりあえずやってみましょうと、そういう態度がアカデミックに求められるのではないだろか。