プロポーズは男がするもの。
これは男らしさなのか。
文化としての習慣になるのか。
スカートは女らしさなのか。
イギリスのある地方では、男がスカートを履く文化がある。
その地方ではスカートは男らしさなのか。
まず文化的な意味合いがある。
ジェンダーとは「平等」のためであると仮定すると、習慣と切り離すべきである。
構造の問題であって、共時的な話ではなく、通時的な話だからである。
その伝統(すなわち文化)をいきなり壊すのは、関東地方で、通勤ラッシュにエスカレーターに右に立つ人のようなものである。
「平等」と「習慣」を混合してジェンダーを議論することに意味はない。習慣を壊すことは、ある視点においては「強制」になる。
強制された「平等」を望む人はいないだろう。それこそ、マルクス主義の復活みたいではないか。