僕は、法は秩序の観点から個人を守るものであると考える。
そして道徳は尊厳の観点から個人を守るものであると考える。
ヒトラーは死刑にされるべきか?
感情的には死刑にされるべきなのだろう。
ただ、道徳的には、人間という存在の尊厳を守るべく、死刑を反対する。
仮にどんなにひどいことをしたとしても。
道徳というのはそういうものだと僕は思う。
ヒトラーを牢獄に閉じ込めれば終身刑だろうと死刑だろうと、国民に損害はない。
だとしたら。
人間の感情を尊重するか、人間の尊厳を尊重するか。
僕は待ったを言いたい。
鶏が先か。卵が先か。最近僕はこの論法をよく使う。
物事を考えるときに大いに役に立つと考えるからである。
もし人々の感情を尊重して、ヒトラーを死刑にするとする。
すると、社会は道徳よりも感情が優先されてしまわないだろうか。
僕はそれに危機を感じる。感情・道徳・法。3つ並べたときに感情はどれほど大事なものだろうか。僕は、道徳と法のバランスをしっかりすればよいと思うのである。
感情が優先されてしまう社会は怖くないだろうか。
思うに、感情が戦争を誘発すると考えるからである。
道徳が先。感情は後である。
そう考えれば、死刑制度を廃止するのは妥当ではないだろうか。