古典は退屈である。
そんな時は仮説を立ててから読むと面白くなる。
岩波文庫『快楽について』という本がある。
分厚い本である。
僕は仮説をたてた。
「幸福とは快楽の総量である。」
この仮説が本の筋に対してどの程度通用するのか、通用しない場合、何故通用しないのか。
このようにして読んでいくと「快楽」の定義が僕の考えるものと違うことがわかってくる。
古典を読むこととは、自分が持つ持論と相手の論理の戦いでもある。
古典は退屈である。
そんな時は仮説を立ててから読むと面白くなる。
岩波文庫『快楽について』という本がある。
分厚い本である。
僕は仮説をたてた。
「幸福とは快楽の総量である。」
この仮説が本の筋に対してどの程度通用するのか、通用しない場合、何故通用しないのか。
このようにして読んでいくと「快楽」の定義が僕の考えるものと違うことがわかってくる。
古典を読むこととは、自分が持つ持論と相手の論理の戦いでもある。