「我に返る」
こんな言葉がある。
正気に戻るという意味らしい。
しかし僕から見たら奇妙に見える。
我は身体の「外」にお散歩していたのですか?と言いたいのである。
ありえないっしょ!草
ということで、今一度、この表現について考察したいのである。
我に返った自分。
我に返れない自分。
他人から見たら、どちらも客観ではないだろうか。
何によって我に返るといえるのだろうか。
誰が判定するのだろうか。
これはすごーく奇妙なお話である。
我なんてものはそもそも不変ではないだろうか。
心変わりなんて言葉もある。
しかし心のことなんて、人はどこにあるかもわかってないし、仕組みもわかっていない。
言葉なんてものは本当にいい加減だと思う。
ただし、そんないい加減な言葉によってできている「僕」という人間。
なんだか、身体が半分に割れた気分である。