哲学は語る。

本の受け売りではなく、しっかり噛んでます。

意識とイデアについて

三角形。

街にはいたるところに三角形がある。

 

ブランドの看板。

アプリのロゴ。

ペットボトルのマーク。

 

これを皆三角形と当たり前のように思っている。

何故か。

厳密には長さが違う、大きさが違う。

にもかかわらず。

プラトンさんは「イデア」があるからと考えた。

 

三角形のイデアを皆持っている。だから皆、わかるのだと。

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目の前の物質は何者なのか。

例えば石。

あくまで、光を通して、網膜を通して、知覚として僕たちはそれを「石」と呼ぶ。

じゃあ、「僕」がいなければ「石」は存在しないのか?

否。

他の人間がいれば「石」は存在する。

じゃあ、人間が消えたら「石」はなくなるのか?

否。

人間と一緒に石が消えるなんて、そんなバカな話があるかい。

ところで、人間以外の存在にとって「石」とはどんなもの?

色は?硬さは?

そもそも「石」ってなんだい。

目の前にある「石」を本当に僕は「正確に」認識できている?

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ところで、意識ってなんだい。

身体に存在するもの。

じゃあ、意識を「意識」する。

これはどういうことだい。

 

今、自分そのものが「意識」であるならば、「意識」というものだけは確実に、「正確」に認識できているとならないか?

僕は意識のイデアを備えていないか?