三角形。
街にはいたるところに三角形がある。
ブランドの看板。
アプリのロゴ。
ペットボトルのマーク。
これを皆三角形と当たり前のように思っている。
何故か。
厳密には長さが違う、大きさが違う。
にもかかわらず。
三角形のイデアを皆持っている。だから皆、わかるのだと。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
目の前の物質は何者なのか。
例えば石。
あくまで、光を通して、網膜を通して、知覚として僕たちはそれを「石」と呼ぶ。
じゃあ、「僕」がいなければ「石」は存在しないのか?
否。
他の人間がいれば「石」は存在する。
じゃあ、人間が消えたら「石」はなくなるのか?
否。
人間と一緒に石が消えるなんて、そんなバカな話があるかい。
ところで、人間以外の存在にとって「石」とはどんなもの?
色は?硬さは?
そもそも「石」ってなんだい。
目の前にある「石」を本当に僕は「正確に」認識できている?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ところで、意識ってなんだい。
身体に存在するもの。
じゃあ、意識を「意識」する。
これはどういうことだい。
今、自分そのものが「意識」であるならば、「意識」というものだけは確実に、「正確」に認識できているとならないか?
僕は意識のイデアを備えていないか?