「二回連続でサイコロの6が出る確率は?」
ありがちな問題である。
大数の法則によれば、何千兆回もくりかえしてやれば限りなく1/36に収束するのは間違いない。
故に、答えは1/36で問題はないように思われる。
しかし。
「連続」とは何か?
この問題には暗黙の了解として、日常的な話として、二回連続で~
という節がある。
何が言いたいのかというと、この問題の文末に、
「ただし、二回目は1年後に行うものとする。二回目を行う直前、非公式的に、つまり誰かが遊びでサイコロをころがして、今のところ、奇跡的に4回連続で6が出ている。」
とあった場合、さあ、次も6、でちゃう?というお話なのだ。
なんとなく、もうさすがに6は出そうもない。
6が出る確率は常に1/6。でも次は感覚としては絶対出そうもない。そうなると確率が変わってしまうのか?という錯覚に陥る。
連続。
連続も実は複雑な概念だとわかる。
例えば映画。
映画は静止画の連続。でも動いているように見える。
じゃあ、目の前の現実も、動いているように見える。
映画と現実。映像の点で、そんなに違いってありますか?
実は、脳は現実の映像を点の連続でとらえているとしたら。
僕は直観では映画も現実もほぼほぼ同じだと思うんですよね。
だって、現実の映像を、一定の間隔の点で連続で保存しないと、容量が足りなくなると思いませんか。
0.1秒から1秒まで、10000000000000000000万個の静止画を、一時的に脳で保存できますか?
むずかしいのかなと思ってしまいます。
「連続性」
実は僕はわかっているようで、わかっていない。