池田晶子さんは、
「人を殺してはいけないということを、実は問いを立てている時点で既に知っているから」
「その問いこそが答えだ」
と答えた。
他の人は、
「秩序が乱れる」「法で禁止されている」「かわいそうだから」
道徳的なことを考えるだろう。
そして僕の答え。
「何故人を殺してはいけないのか。という問いを立てるため」である。
僕は何が言いたいのか。
この問いによってかどうかはわからないが、まず倫理学が生まれる。
倫理を考える際、統治について、つまり政治学も生まれる。法学も生まれる。
生まれるというよりは、発展するが正しいか。
そして、倫理学・政治学・法学部分的には公共哲学へと発展した。
人は考える生き物だ。
「~してはいけないのは何故か。」という問いは、
それを考えるためにあり、後世へと継承していくためにあると僕は考える。