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障害者とは時代の流れとともに定義が変わるものだ。すなわち平等の分配方法も時代とともに変わる。

『死刑でいいです』読了

 

死刑囚はアスペルガーという発達障害であったらしい。

障害者と犯罪の関連性は置いておいて・・・

 

発達障害なんてものは社会が作ったものだ。

コミュニケーションがうまくとれなくても、大昔は問題なかったではないか。

あったとしても、「発達」障害って言い過ぎやしませんか。

産業構造が変化し、仕事において人との接触が大部分を占めたがために、そこに適応できなかったから社会的に障害者というものが作られる。

なんという不条理。

さっさと福祉サービスを享受するべきだ。

社会が勝手に作り上げたのだから、その報復として殺人はやりすぎにしても、福祉は受ける権利がある。

でも知識が不足していて情報が肝心の当事者にいきわたらない。

スマホならいつでもどこでも情報が手に入るんではなかったんですか。

スマホの無能ぶりがここでも発揮されておりますね。

※事件発生は2000年代初期であったがメールは既に存在し、ネットは普及していた。

 

問題は「平等」をどう実現させていくか。

少なくとも、生活面での平等は人権として与えられるものであり、社会は彼らに支援しなければならない。しかし現実はうまくいっていないのだ。だからこのような犯罪が生まれることは否定できないのではないだろうか。僕はそう思う。

立ちはだかるのは線引きだ。

しかしよく考えてみる。これはかなり難関である。

おそらく、遠い遠い未来では、足がない人も「健常者」として扱われる可能性がある。義足と技術の発達によって。

考えるだけで命令できるような機械が出たらどうなるのか。

今度は考えることに支障がある人が圧倒的に不利になる。そして障害者扱いになるのかもしれない。

ようするに、結局は社会が変わると障害者の定義は変わるのだ。

 

残念なことに、技術が定着してしばらく経たないと「新たな障害者」は見えないだろう。

イタチごっこしてる場合ですか。

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