「人を殺してはいけない。」
それは法律でそうなっているので。
でも、法律が消えたとき、殺したいだろうか。
殺したい人がいたとして、本当にそう思っているのだろうか。
「なぜ人を殺してはいけないのだろう。」
その質問はなぜ出てくるのだろう。
実は人を殺してはいけないと知っているからだとわかる。
その問いが生まれる前から知っている。
誰からも教わらない。「直感」として、そう思っている。
善いこと。悪いこと。
なぜ「善いこと」という言葉があり「悪いこと」という言葉があるのだろう。
実は、善悪の判断は言語の習得前に「直感」としてなぜか存在しているのではないだろうか。その「なぜか」はいまだに答えが出ていない。しかしどういうわけか全人類が当たり前のように「good」「bad」の意味を区別している。厳密には定義ができない善悪を「なぜか」ひとは感覚として持っている。
善いことが我々に与えるイメージ、悪いことが我々に与えるイメージ。
全ての人が同じような感覚を持っている。意味が定義できないにも関わらず。これって奇跡じゃないですか。
この感覚が直感だとすれば、
悪いかもしれないけど実は自分にとって善いこと、善いことなのかもしれないけど実は自分にとって悪いことの判断がつく。
それが直感を磨け、の意味だと思ったのです。