結論からいうと、「何人の人間から何円貰っているか」に尽きると思う。
公務員であれば、給料は税金なのだから、国民全員が納税者であり、年収500万円であれば500万人の方から1円ずつ貰っていると考えられる。
ようは、誰から何円もらっているか。
鍵は、払う側である。
払う側が納得したうえで払えば需要と供給がぴったり一致しているであろうし、納得せずに払ってしうまうのであれば、ずれがあるだろう。強制的に、払わされているのであればそれは詐欺なのかもしれない。
払う側に立って物事を考えてみると、お金儲けに対する考え方が変わらないであろうか。また、どんな仕事をしたいのかを考えるときに、「誰からどれだけ貰うのか」を考えると、それが本当にやりたいことなのかどうか判断できないだろうか。
私の場合、「困っている人を助けたい」という思いがある。
でも、「癌に侵されて困っている人」は助けることはできない。医者にしかできない。
なので、「何に困っている」かを見極めればよいのではないか。
例えば、「パワハラで困っている人を助けたい」のであれば、法律に詳しくないといけないし、何の法律を知る必要があるのかを調べないといけない。自分にできそうであれば、それがやりたい仕事である可能性はある。
そこで、「年間、パワハラで困っている人100人から5万円ずつもらう」と考えてみる。単純に、年収500万円を想定すると上記のとおりになる。
「パワハラ問題を解決する為だけに1人から5万円も貰わないといけないのか・・・」
このようにして考えると、深堀もできるし、自分の仕事の対価が見えてくる。
この思考に沿って考えたときに、「誰から何円貰っているのか」が曖昧だとそれは自分に納得できてない可能性が高いかもしれない。
お金儲けとは。
少なくとも、仕事の対価を可視化できれば、それを下品と思うのは間違いではないだろうか。