何故楽なほうに行きたくないか。
自分は如何なる時も「ないもの」に苦しまれることを知っているからである。
今「ないもの」は「ゆとりの時間」や「楽しいイベント」、仕事についていえば「能力」である。
これが、楽なほうに、楽なほうに流れていくと、その時は「ないもの」が「充実した時間」や「誇り」、「彼女」というふうに変化していくからだ。
今は彼女はいないが、他にやることが多すぎて気にしない。
それが楽になって、暇になると急に欲しくなる。これは無職を経験したからこそわかることだ。
だから苦しくても「これでいい」と思えるのである。
「これでいいのだ」という言葉があるけれど、その意味が少しだけわかったような気がする。
今日も良い一日になった。