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フラクタル構造で政治と倫理学を考える

初めてこのブログに遭遇した方向けに : フラクタル構造に関してはこちら

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

 

置き換えて考える。

国家⇒人間(全体、という意味で)

大統領⇒脳(司令塔、という意味で)

組織⇒内臓

 

 

 

国が大統領の仕事次第で情勢が変わる仕方で、

同じように人間も変わると僕は考える。

 

 

 

法律は「格率」

格率とは「行為に関する規則」である。

 

 

カントの『実践理性批判』(≒カント倫理学) を端的にまとめると、

・行動を結果から判断してはならない。(帰結主義から退く)

・行為自体を、「倫理的正統性」から判断する。

 

 

 

 

これは法律と近い。

国の秩序には規則が不可欠である。

すなわち、人間自身にも「法律(=格率)」を課さねば、人間が退廃する。

 

 

 

「本能には勝てない。」

「自然には勝てない。」

これは「思考停止」だ。

何のために国に「法律」が存在するのだろう。

個人にも同じことが言えると僕は考える。

 

 

 

判断するもの、それをカントは「悟性」と呼んだ。

つづく

 

 

大澤真幸『恋愛の不可能性について』解説

こちら、一年以上前の稚拙な記事なので補足します。

 

還元不可能性について再度簡単にまとめます。

例えば、彼女の声が変わっても愛せるでしょうか。

そのあとに彼女の顔がなくなっても愛せるでしょうか。

そのあとに植物状態になっても愛せるでしょうか、

これが無限につづくわけですが、要するに何をもって愛しているのかという、その「点」が無いことを還元不可能性と表現しているのだと私は解釈しています。

 

・・・

 

 

 

 

こちらも参照を。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

参考文献:ジョルジョ・アガンベン『スタンツェ』ちくま学芸文庫

大澤真幸『恋愛の不可能性について』ちくま学芸文庫

 

 

端的に言えば、「認識の不可能」である。

例えば、

「彼女が欲しい」

というのは、

「気持ちの表明」

に過ぎず、

具体的にどんな人かを記述はできない。

 

 

大澤真幸氏は、

「還元不可能」といった表現で、認識の対象(つまりは恋愛対象)の記述不可能性について論じた。

 

 

言い換えれば、「特徴」を記述できないことである。

・髪が長い

・背が高い

・頭が良い

 

 

 

これらをいくら記述しても人間を再現できない。

だから不可能なのである。

つづく